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アホ支群本部
千葉県東葛郡市川町に大正年間に創業した「市川広小路 平和堂」。 創業以来、市川の地で国府台連隊をはじめ、軍部隊納めの商いを行うも市川空襲で焼夷弾の直撃を受け被災、廃業。 平成20年。半世紀余りの眠りから覚醒し、国防産業の「隙間のスキマ」を狙う「国防商会」として再始動。 部隊購入、隊員個人によるセミオーダー、PXメーカーに対する助言等、「かゆいところに手が届く」各種個人装備、被服、旧装備の復刻等を行っています。 詳細は「オーナーへメッセージ」よりご連絡下さい。
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2013年05月30日

M1カービン製品化?

――と、「沖縄のカービン」についてしたためていたらすっかり本題を忘れていたので別記事にて。



「King Arms // M1 Carbine coming soon!」
http://blog.airsoftcommunity.de/king-arms-m1-carbine-coming-soon

「RedFireHK(Facebook)」
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.653790844636244.1073741827.519584648056865&type=1

局地的に話題となっていたKingarms製のM1カービンの試作品がここ数日、海外でも話題になっている気配。

個人的には四季を通じて使える電動であって欲しい――と、願うも、チャンバー周辺の様子からガスブローバックの雰囲気。



https://www.facebook.com/photo.php?fbid=653791381302857&set=a.653790844636244.1073741827.519584648056865&type=3&theater

「使えるカービン」が発売されれば、前出の「沖縄円ドル交換輸送警備」。ちょっといじってしまえば「金嬉老事件」の豊和M300も再現できちゃう。さらには警察予備隊から21世紀初頭の「空自の三線基地」まで再現出来ちゃうのである。





意外にも「日本の鉄砲」的に穴であったM1カービン。続報が気になる今日この頃。  

Posted by アホ支群本部 at 18:01Comments(5)雑記

2013年02月11日

旭日祭

急遽開催された「旭日祭」のご報告。コミケでの「自宅警備隊はじめてのお使い(社会(=権力)のカベを知る)」をきっかけに各地で局地的なブームが巻き起こっている昭和ポリス。そんな昭和ポリス野郎による、昭和ポリス野郎の為のミーティングが開催されたのでご報告。



90鉄帽に「牛殺し」45口径で、「血のメー●ー状態」。



コンテナを検索中。背広に略帽が関西テイスト。



ゴミ穴にただ立つだけで瞬間、「事件」が現出する。



リボルバー祭(←ほぼ回転魂状態)。参加各員の使用けん銃は「ニューナンブ77㎜」、「S&W M1917」、「S&W M10」、「M1911A1」と昭和感度MAX。M1917が多数参加したところに皆の昭和愛が光る。



「漢は背中で魅せる」を地でゆく、アニキたちの後ろ姿。やはり古今東西、「集団の統制美」こそがミリタリー趣味の醍醐味である。



ただ階段を上るだけ出も絵になる昭和ポリス。



「盛夏野郎」の集結した2012年の「第一回旭日祭」の様子。大盾は在沖米軍払下げ。

以下、参加者の装備――といっても、被服は皆、一様に同じなので、個性の光る腰回りについて。



平成に入っても使われたという米軍型ホルスター。ホックの改造された物や、国産のコピー品も存在したという。紺色つりひもがオシャレ。



戦後少数が輸入されたというミリポリM104インチ。グリップアダプターは代用品。が、管理タグの模造品が「お役所感」を底上げし、妙な説得力が生まれる。



昭和時代には外勤警察官用に広く使われたミリポリ用の蓋つきけん銃入れ。

――と、報道写真のなかでしかもはや存在しない昭和ポリスが、大挙、現出した旭日祭。

「内容の濃さに知恵熱が出るかと思った」

「統制美の大事さをつくづく痛感した」

「ディーティルに神が宿るというのは本当だ。ダサ恰好よさこそ「昭和」の真髄だ」


と、非常な好評を博した旭日祭なのであった。  

Posted by アホ支群本部 at 13:57Comments(4)雑記

2013年01月09日

機動隊について (読書)



年末年始はおさらいを兼ねて、「突入せよ!あさま山荘」の原作となった「連合赤軍「あさま山荘」事件」の著者で元・警察キャリアとして「警備畑」を歩んだ佐々淳行氏や、元警視庁警察官の原田弘氏の著作を読みふける。

どちらの著者も昭和20年代に警察官を拝命し、片や警察キャリアとしての指揮官の目線で過激化する学生運動の警備実施を振り返り、片や生粋の現場警察官として連続企業爆破事件ではパトカー勤務員として臨場。爆弾に吹き飛ばされ負傷――と、どちらの著者も「ひとりの警察官として見た昭和」をテーマとしているが、この両者の著作を読み較べた時のコントラストは非常に興味深い。

そして、「戦後警察の装備史」の視点から書物を読み返してみると、端々に興味深い記述が見つかる。

戦後日本警察の装備品に限定しても、内務省時代から引き継いだブローニングやコルトなどのけん銃。戦後のM1917、ガバメントをはじめとする米軍けん銃の貸与をはじめ、ジープやウェーポンキャリアなどの車輛や無線機。「チノパン、チノシャツ」やバックルブーツなどの米軍個人装備。さらには平成期に入ってからも使われ続けた旧軍の90式鉄帽や「亀の子防弾チョッキ」などの防弾装備や、機動隊の防石ネットとして使われた旧軍戦闘機の偽装網などの旧日本軍装備――と、内務省、米軍、日本軍の装備が入り混じり、これらをベースに独自に進化を遂げたものが戦後日本警察の装備と言え、このなかでも機動隊という存在が非常に独特な装備や、歴史・文化を持っている。



※ 「旧型装備」に身を包む機動隊員。この装備は過去半世紀にわたって使用され、現在も新型と並行して使用されている

現在の機動隊員の姿は2002年のワールドカップサッカー大会警備を機に導入された軽量化された新型防護装備である黒色の通称「ガッチャマン」に更新されつつあるが、戦後の学生運動隆盛期から21世紀の現在まで使われている、「機動隊」と聞いて多くの人が真っ先に連想するであろう「紺色の機動隊員」が身に着ける防護装備の構成品は頭部を保護し、頸椎ガードの取り付けられた「防石面付きヘルメット」、「ゲバ棒」の打撃から胴体を守る「防護衣」、股間を防護する「垂れ」、大盾からはみ出す脛を守る「脛当」、そして腕を守る「籠手」などから構成されているが、「防石面付きヘルメット」をはじめとした籠手や垂れなどの防護装備は戦国時代の兜を連想させ、手に持つ「大盾」のイメージとともに、機動隊のとる戦術も中世ヨーロッパの「ファランクス」や戦国時代の足軽を連想させる。(※装備品の名称は便宜上の名称)



※ 機動隊防護装備の新旧比較



※ 千葉県警年頭視閲で大盾操法の展示を行う成田空港警備隊

そして、小隊長以上の指揮官は旧軍の指揮刀にルーツを持つ階級ごとに色分けされた房付きの「指揮棒」を持ち、首に巻く白い「防炎マフラー」は、ときの警視総監が旧軍の零戦搭乗員のマフラーをヒントに導入が決まったといい、伝令は自隊の位置を表示する「提灯」を掲げるなど、旧日本軍の影響や、岡っ引き?の影響なども端々に見受けられる。



※ 全共闘の揺籃の地である日大の封鎖解除に出動した警視庁機動隊

とくに佐々淳行氏の著作――とくに「東大落城」(文春文庫 1996)のなかでは、過激化する学生運動とそれに対する警視庁機動隊のまさに血みどろの「警察戦国時代」が描かれるが、そのなかで、警備資器材の改善や導入などの紆余曲折に言及した部分も多い。たとえば当時の出動服、通称「乱闘服」は化繊生地で出来ていて、石から火炎瓶に学園紛争が過激化するなかで、化繊の出動服は燃えると熱で溶けて身体にへばりつき機動隊員の火傷が重症化する傾向にあったといい、ときの佐藤栄作総理大臣を機動隊の隊舎に連れてゆき、政治主導の「ウルトラC」で「防炎出動服を導入させた」というエピソードも披露されている。



※ 神保町書泉グランデ前で対峙するデモ隊と機動隊

以下、「東大落城」より抜粋。

どうしたら双方の怪我人を少なくして検挙数を増やせるか、私は知恵を絞る日々だった。(中略)
そこで思いついたのが「逃げると追ってくる」という勝利者の心理を逆用する伏兵戦法だった。
正面の部隊がわざと負けて逃げるふりをして、勝ち誇って追撃してくるゲバ学生たちを、
あらかじめ伏兵が待ち伏せしている地点に誘い込む。
携帯無線の通信で連絡し合い、ころあいをみてドッと側面から挟撃する。
同時に退却していた部隊が反転して浮足立った一番先頭の最も悪質な集団
を包囲し、一網打尽にするという作戦がその一つである。

二代将軍の凡将・徳川秀忠が真田昌幸・幸村親子の守る上田城攻めで、この手に引っかかって大敗し、関ヶ原の合戦参着が遅れて家康にひどく叱られている。

(中略)

私は警備新戦術研究会で隊長たちを集め、この戦法を披露し、「以後この作戦を『俎(まないた)作戦』と呼称する」と宣言した。

(中略)

あわせて各機動隊に対して退却に際しては、命令一下いっせいに大盾を背中にひっかついで逃げる「亀の甲」態勢をとるよう、訓練を下命した。当時、連日の警備で多くの負傷隊員が出た訳だが、彼らの負傷部位をこまめに統計をとらせてみると、鎖骨、睾丸、小手に脛が多かったが、後退するときに追いすがられて角材、鉄パイプ、投石などにより頸椎と背骨をやられる「後ろ傷」も意外に馬鹿にならない数だった。しかもこれらの傷は後遺症を残す危険の高いことがわかった。そこで頸椎を保護する兜の錣(シコロ)状のプロテクターやアメリカン・フットボール用の睾丸プロテクターなどの装備化を急ぐと同時に、部隊行動として大盾を背負い背中をカバーしながら、組織的に「敵に後ろを見せて」退却する戦法を採用したのである。

(中略)

また「捨伏(すてがまり)」戦法という薩摩勢独特の退却戦術も導入した。
「ステガマリ?一体、何です、それは?」
と、隊長たちは怪訝な顔をする。私はだてに戦記物を読んでいるんじゃない。退却に際して催涙ガス分隊を三段列にわけて部隊後尾に折敷の姿勢で構えさせ、追いすがる暴徒に向けて第一列発射。すぐ走って逃げ、今度は第二列発射。第三列が発射する前にその後方に折敷いた第一列が装填を終えるという、追撃の先鋒を怯ませて本隊を逃がす戦法だ。

――と、機動隊の運用指揮を司る警備一課長だった佐々淳行氏は、相当な戦記マニアで、拳銃マニアであったそうだ。(佐々氏の著作を担当した編集長談)。「半分趣味」状態ともいえる戦国時代の戦技戦術の研究を行ったが、この背景には「70年安保」を控えて、過激化する学生運動で警視庁機動隊の負傷者が続出している事情があったという。

東大安田講堂の攻防戦にいたる全共闘の出発点となる日大闘争の警備実施だけで、紛争がはじまった昭和43年4月から45年6月までの約2年2ヶ月の間に「機動隊員のべ10万1691人がのべ277回出動し、殉職1名、重軽傷384名の損害を受け」たといい、この日大闘争をふくめた全体の警備実施では凄まじい数字が出ている。

「昭和四十三年中の警備実施回数・一千六十八回。検挙者数・五千百六十七名、負傷機動隊員数・四千三十三名。昭和四十四年は、東大安田講堂事件をふくめ、警備実施回数・二千八百六十四回、検挙者数・九千三百四十名、負傷隊員数・二千百九十五名」

という多くの負傷隊員を出しており、佐々氏はこの原因を「ゲバ棒と警棒の白兵戦」にあるとして、「放水の活用と催涙ガス弾の使用によるアウトレンジ戦法」へと警備戦術と装備を転換したという。そして、「戦後警察装備史」的な目線から見れば、この時期の警備実施の反省と教訓から機動隊員の被る「SB8型ヘルメット」の頸椎を守る「垂れ」が付けられ、機動隊のドクトリンともいえる「放水とガスと大盾」が確立されたといえ、高圧放水可能な放水車が整備され、数も少ない上に連日の警備で破損したジュラルミン製の大盾も増強された。「イギリスによる香港暴動鎮圧の教訓」から催涙ガスの使用が大々的に行なわれることとなり、昭和43年の新宿騒擾事件直後でさえ「警視庁に49挺2000発しかなかったガス銃」が増強されるきっかけとなったものが、この時期の警備実施であった――つまり、機動隊を象徴する「紺色の出動服姿の機動隊員」の姿が完成したのが、この昭和43年であったということが「東大落城」の文面から伺える。

しかし、そんな「警察戦国時代」には、機動隊員らは相当、「荒れていた」らしい。



※ 昭和38年(1963)当時の「白兵戦時代」の警備実施の様子。ヘルメットには「垂れ」がまだ取り付けられておらず、盾も旧型



※ 「ゲバ棒から火炎瓶へ」のデモ隊の戦術の変化で、機動隊の戦術も「白兵戦からアウトレンジ」へと変わって行った


ちょっとした騒ぎになった。
まず、「退却」というコンセプトを承知させるのが大変だった。古参の隊長、各級指揮官に拒否反応が起きたのである。

「伝統ある警視庁機動隊に向かって退却せよとは何事だ」「名誉ある頭号(一番の意)第一機動隊は『俎』だの、『総予備』だ、『退却』だなどという任務は絶対お断りだ」‥‥と隊長たちは気色ばむ。戦争体験を持つ旧軍の下士官兵出身者が多かったから、斃れて後已むという旧軍の用兵思想がまだ濃厚に残っていた。「敵に後ろを見せるは‥‥最後の一兵
まで一歩も下がらないというのが機動隊魂だ」などと、りきむのである。


また別の項では、

あの頃は下剋上の戦国時代。荒れた現場の指揮官たちは、卑怯未練な振る舞いがあったり不決断だったりすると、隊員たちから「しっかりしろっ!中隊長っ」などとどやしつけられたり、こづかれたりした。「下からの勤務評定」が厳しい時代だったが、それにしても今日、警視庁本部で機動隊長が上司のネクタイをつかんで怒鳴るなんていう光景は見られない。(中略)いまどきなら懲戒処分間違いなしの石川隊長の言動も「サブ、凄えなあ」ですんだ。

――戦国時代の戦術、戦法を研究し戦術化、防護装備も日本古来の鎧にヒントを得た機動隊。その精神は旧軍出身の元・下士官兵のベテランが精神と根性を注入し、警備計画の立案は「陸士出」をはじめとした元・旧軍将校が行ったという。実際の警備実施の現場では旧軍の「突撃に進め!」の号令に変わり、指揮官が指揮棒を振りおろし、「喚声前へ!」の号令とともに、数十名の機動隊員で投石、火炎瓶の雨の中を数千名の敵陣(デモ隊)めがけて突入。蛮勇を競うなど、まさに「男の花道」たる仕事だったという。



※ 神田神保町を埋め尽くすデモ隊



※ 「あさま山荘」後、凋落した新左翼運動は「三里塚」の成田空港反対闘争でさらに過激化してゆく

そうした戦術的、精神的なものをベースに、催涙ガスの使用などは英国の香港暴動の鎮圧からヒントを得た。さらに「汝殺スナカレ」という大前提のもと基本的に幹部以下はけん銃を携行せず、発砲もしない。警棒の使用も指揮官の命令という戦後日本的な「崇高な理念」のもと、「「忍耐」が美徳であると精神教育を施し、騒擾や暴動を「規制」し、「排除」し、「解散」させ、それでも従わないときは「生け捕り」にする――これが機動隊の基本原則」という、「日本の独創的な警察制度」であると佐々氏は語る。

異論反論は多々あるとはいえ、戦後日本の治安の現場で誇るべきことのひとつは、たとえ反体制派の騒乱であっても、一部例外を除いておなじ日本国民に銃口を向けなかったということは誇るべきことだろう。

「何を好んでそしりを受ける。損はやめろといわれても、信じているんだ太陽を、この世を花にするために、鬼にもなろうぜ機動隊」

学生からは「権力の走狗」と蔑まれ、学生寄りだった多くの市民からも白眼視されたという機動隊。趣味の世界でも自国の「警備警察」ということから、あまり語られることのなかった存在だが、その背景や取り巻くエピソードを調べると、これがなかなか面白く、戦後史的にも非常に興味深い存在だ。


――しかし、佐々淳行氏の著作の多くを読んでも、昭和40年代の高度経済成長に沸く日本のど真ん中で繰り返された連日連夜のデモ隊と機動隊の「戦争」は相当なものだったんだなと、改めて感じる次第。当時の機動隊員をはじめ、警察官の苦労を偲ぶ新春である。  

Posted by アホ支群本部 at 07:00Comments(4)雑記

2012年12月07日

戦後警察けん銃調査の雑感 2

いろいろ調べてみると、現代日本も相当数の「骨董銃器」が残存していることがわかって興味深い。

「平成16年まではミリタリーポリス回転式けん銃、ブローニング自動式けん銃があった」

「我が県警からコルト回転式が消えたのは平成22年。平成23年になり新たにサクラ回転式、HK P2000自動式が配備」

「ワルサーPPK自動式は相当数が輸入され、現在もシグ230自動式より数が多いのではないか?」

「警視庁では平成10年頃まで米軍おさがりの『45口径回転式』(S&W M1917)を使っていた」

「新制服導入後(平成6年以降)、新制服用のM1917のけん銃ケースが存在した」

「やはり新制服導入後に、婦人警官がカールコードの付いたコルト25を持っている写真がある」

「コルトポケット(32オート)は平成10年頃でもバリバリ使っていた」

「サクラ回転式、HK P2000自動式は評判が悪く、エアウェイトやチーフスを引っ張り出して使っていた」


等、各方面の話を伺い、資料をあたると、日本警察の物持ちの良さと、想像を超えるバリエーション――弾薬の種類だけでも相当な幅があることに驚かされる。



※ 高知県警警察学校。2008年。



※ 低解像度のため詳細は判別できないが複数種類の回転式けん銃がうつっている。

ここで現時点ではひとつの推論でしかないが、自衛隊の場合、小銃は「●●式小銃」と、型式の制式化がなされてネジの径まで仔細に記した厳格な仕様書を設定。量産、配備され、通常、一切の別の選択は許されない。しかし、それでは運用上の柔軟性がもてないことから、近年、導入された「対人狙撃銃」の場合、型式の指定はなく、仕様書で決定されるのは「7.62㎜」の口径などの大まかな規定だけであって、選択に幅を持たせている――ともいえる訳で、警察の場合、けん銃の調達に関しては後者のスタイルととっていたのではないか?とも考えられる。

つまり、「89式小銃は64式小銃の、64式小銃はM1小銃(および99式小銃)の代替」として、それぞれの時代に「新小銃」として従来の小銃が代替され、更新される場合は原則的に中隊等の部隊単位で一斉に装備される。

日本警察の場合、予算にしても国費と県費での調達があって一元化されておらず、部署による選択にもかなりの柔軟性が持たれているようだ。一昔前は「ニューナンブM60」で使用けん銃を統一しようとした痕跡はあるが、そもそものけん銃のバリエーションが多すぎたことや、射撃訓練の機会が少なく、実際の使用例も僅少な日本警察の特殊事情から通常の耐用年数をはるかに超えた配備が可能だったともいえる。そこで、日本警察の場合、「数の上での主力けん銃」であった、

S&W M1917 → ニューナンブM60 → S&W M37エアウェイト

と、「『新けん銃』に更新がなされたように見える」が、どうやら一斉取り替えではなく、現在でも「サクラ回転式」が導入されたとはいえ、県警にもよるが一線署の地域課等でもニューナンブM60、S&W M37エアウェイトが混在していて、さらには制服警官に対しても少数ではあるようだが、SigP230、HkP2000などの配備も行われていることから、どうにも「新けん銃」の導入、配備には一定の規則性がなく、

「予算年度によってそれぞれ調達されたけん銃を損耗交換分として配備」

していると考えられる。当然、現在ではけん銃使用の可能性の高い部署等への優先的な配備はあると考えられるが、現在ではかつてのように「回転式は制服警察官、自動式は私服警察官」という「常識」(←思い込み)も通用しない状態で、日本警察の装備するけん銃の幅の広さ――近年導入され、確認された物だけで、SIG P230、M360Jサクラ、Hk P2000、ベレッタバーテック、S&W M3913 レディースミス、グロックG17(?)と、この一貫性のないラインナップには、戦後混乱期を彷彿とさせるカオス状態と評することも出来る。

そこで総理官邸資料のP21に注目。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/bouei/pdf/sankou4_1.pdf。警察庁の「一般警察官用のけん銃の調達」では、「複数銃種の携帯性、撃ち易さ、安定供給可能性、価格等を総合的に検討」「けん銃銃種選定委員会において、銃種を決定」しており、調達では「随意契約により国内にある輸入代理店を通じて調達定価の把握、市場調査、代理店より入手したメーカーからの見積価格により価格の妥当性を確認」とある。が、ここで語られているのはあくまで「一般警察官用」であるのに注意。しかし、競争入札で予算年度による銃種の違いがあるのならわかるが、「選定委員会で決定した銃種を随意契約」であるから、「一般警察官用」ではないところで、いろいろ「大人の事情」があるのであろう。

(余談。当該資料P22 「自衛隊及び各国軍隊の定年年齢」の自衛隊の階級と、米軍階級の対応。とくに将と曹の部分が興味深い)



※ 宮城県警けん銃射撃競技会 2009 http://www.news24.jp/articles/2009/10/06/07145149.html



※ 映像射撃シュミレーターの様子。



※ けん銃射撃競技会の様子。中央の警察官がS&W M3913 レディースミスを使用。



※ 現在は「婦人警官だから小型」という訳でもない。ニューナンブ77㎜銃身を使用。よく見たら前から二人目の男性警察官のけん銃は4インチ銃身。ミリタリーアンドポリスか?



ヘルメットのマークから千葉県警機動隊の銃器対策部隊と思われる警察官。けん銃入れにはSigP230


日本警察の使用けん銃。戦後は戦後で収拾が付かず、現代は現代でアウトラインは見えても、実際の中身は一切がベールのなか。「日本警察装備史」。世にあるミリタリー、銃器研究のなかでも「至難のテーマ」とは本当である。


しかし、ミネベアがS&Wと業務提携を「サクラ」の共同開発?以降、加速させており、豊和はHk――と、そのうち日本警察もM&P、自衛隊はHk416の「ライセンス生産」あたりに手を出しそうな気配である。無念。  

Posted by アホ支群本部 at 21:27Comments(2)雑記

2012年11月23日

戦後警察けん銃調査の雑感

はからずも戦後警察けん銃のけん銃入れ――ガバメントけん銃入れの複製製作の話が持ち上がり、持ち前の好奇心で首を突っ込んだが最後、戦後警察けん銃=もとい、「日本のお役所けん銃」事情を垣間見て、かるく眩暈がしてくる店主です。

前回記事での「証言編」にしても、記事に登場していない方を含め、多くの警察官およびOBの方、関係者の方にお話を伺っても、真相に近づくどころか、「泥沼」の深さと広大さに、深淵を垣間見た気がする今日この頃です。

以下、雑記録。

・ネット上で「平成6年埼玉県警年頭視閲式」の画像を発見。

写真に写る行進中の機動隊員のけん銃入れのはっきり確認できる画像のうち9名中6名が「ニューナンブ 県警型」、1名が「S&W 5インチ 蓋なし」、1名が「COLT 自動式 蓋なし」。指揮官の幹部が旧型けん銃であったことがわかる。

※ 使用許可が下り次第写真公開予定


・「蓋付ニューナンブ用けん銃ケース」にも複数種類がある。

「ニューナンブ用」とされる3インチ(77㎜銃身用)のけん銃ケースには、蓋の上辺が直線の「県警型」、蓋の上辺が斜めになっている「警視庁型」があり、それぞれ帯革取り付け部分と、けん銃収納部が任意に可動する「乗車型」が存在し、主に自動車警ら隊で使われた。

大分類として便宜上区分すると「県警型 (一般用)」、「県警型 (乗車用)」、「警視庁型 (一般用)」、「警視庁型 (乗車用)」が存在する。



※ 左 県警型乗車用 右 県警型一般用



※ 左 県警型乗車用 右 県警型一般用。乗車用は帯革取り付け部分が可動する


・「県警型」でも西日本のものと、東日本のもので蓋を成形する型の形が違う。

実物を比較して判明。東日本のものはフラップ全体が丸みを帯びており、柔らかい雰囲気を持つが、西日本から放出されたとされるものを較べると、西日本のものは蓋に型の折り曲げ線がシャープに入り、微妙に裁断、ステッチングが異なる。納入メーカーによる違いか?全体の裁断も微妙に異なり、刃型自体が異なっている模様。

また東日本のものには本体裏側に「ニューナンブ」の刻印があるが、西日本のものには刻印がない。しかし、この刻印に関しては製造メーカーや年次による違いの可能性もあり。


・古本市で見かけた警察本に平成8年時点で「45口径の弾はクリップで保持」「ミリタリーポリス」「回転式6発の場合は~」の文字を確認。

関東のK県警。


・旧型制服でも警視庁型と県警型で異なる。

警視庁型は毛羽立ちにくい、オンスの高いウール地で作られており目が詰まっている。小規模県警のものは柔らかいウール生地で作られている。


・機動隊の出動服には冬用と夏用があり、ノーアイロンも存在している。

M商店製のレプリカに似た化繊混紡生地のものがノーアイロン?といわれている模様。火炎瓶の使用が想定されるような状況では綿で出来た出動服で「統制」し、「恒常勤務」でノーアイロン等が使われたとの証言。



※ 三里塚で警備にあたる空港警備隊。

「出動服は通常警備ではジャストサイズで、防護装備完全着装での危険な警備ではワンサイズ上で着ます」
「万が一火炎瓶の炎が燃え移った際、すぐ脱げるようにというのと、大盾振り回し、出動服のなかに防護衣を着込むので動きやすいように大き目のサイズを着ます。自衛隊の戦闘服で3Aでジャストなら、2Bを着る感じですね」


・けん銃つりひも紺色について

福島県警、茨城県警?などでは平成に入ってから新制服に更新されるまで使われていた。


・戦後すぐに支給された装備は黒く染め直していた。

戦後すぐ旧軍けん銃などが貸与(年数不明)された際に、米軍のツーバックルブーツなどとともに、チノシャツ、チノパンなども支給されたが、チノシャツ、チノパンは制服としてそのまま着用したが、ツーバックルブーツ、南部14年式のけん銃入れ、つりひもなどは黒か濃紺に染め直して使用(原田弘著「MPのジープから見た占領下の東京―同乗警察官の観察記 」)。また、同時にM43フィールドジャケット等も支給されており、紺色に染め直したものが存在し、出動服の原型になった?らしい。


・「防弾ヘルメット」には90式テッパチ、M1、通称M2、66式鉄帽が入り混じっている。

戦時中から「防空警備用」として鉄帽は配備されており、これが戦後も継続して使用されたのか、米国貸与で旧軍の接収品が再配備されたのかは不明。戦後の改修でM1のライナーが無理やりつけられているものや、オリジナルに似たクッションパッドのつけられたハンモックで改修されている物があり、戦時中の規定では旭日章は正面リベット穴に取り付けることとなっているが、戦後は白や黄色のペンキで旭日章を塗っていたものも多く、学生運動初期の機動隊員の着用例もあり、あさま山荘事件では長野県機が使用している。



※ あさま山荘事件で警備にあたる長野県機。90鉄帽?同型品を着用。足元はゴム長靴(!)



※ あさま山荘事件での機動隊員。防弾ヘルメット(M1型?)を使用している。またあさま山荘事件の記録映像では、M1ヘルメット同型品の防弾鉄帽にも耳あてナシ、耳あてアリが確認でき、顎紐が紐状、M1様のチンストラップなどの混在が確認できる。

その後の労働運動→学生運動の激化で鉄帽の需要が高まり、M1ヘルメットを「米軍の放出品店で県警本部の人間が買い付けていた」といい、警察は購入後、後頭部に金具を増設。「三点顎紐」として使用していたが、顎紐は相変わらずの旧軍由来の「タダの紐」。これはM2、66式も同じだった。

またライナーヘルメットは国産のものが存在し、米軍にも納入していた。耳あてがあったりなかったり、仕様は様々。SB-8の防石面を分厚くした防弾面のつけられたM1ないし66式は現在も使用されており、警視庁では90式テッパチでさえ平成10年(!)頃まで使用され、F県警の倉庫では数年前まで確認されている。近年は88式鉄帽や海外製のものに更新されつつあるが、「防弾ヘルメット事情」は「けん銃事情」と並んで全体像をつかむことは相当に難しそうだ。


※ メッセージを頂きましたN県?の「PM」さんへ。メッセージに返信しようとしたのですが、メールアドレスの間違いで返信できませんでした。お手数ですが、「オーナーよりメッセージ」送信の際の送信フォームにアドレスを記載の上、再送信して頂けますと幸いです。

追伸 魂の打ち震えるメッセージでした。今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!
  

Posted by アホ支群本部 at 15:26Comments(5)雑記

2012年11月01日

ネオ零度シティー 2012

アホガン国から連合軍の警戒網をすり抜け、富士山方面へ逃走した「カリスマゲリラ」ことカリスマとカツが、

「ちばらぎ県零度市(旧・千葉県印西市。レイド)に潜伏中」

との情報を得て、急行!

かつての「ちばらぎ県警東葛署員殺傷事件」で「メンツをつぶされた」ちばらぎ県警は早々に管区機動隊も投入。



カリスマらの検挙を目指すが、零度市のどこにも姿は見当たらない。

しかし、「すーぱーあーすくえいと」で破壊され、荒廃した町に「マルG」(ヤー公)、「赤ヘル」(過激派)が跳梁跋扈していると耳にしていたレイドシティー。


まさにカオス。


けん銃を脇腹にさした復員兵や三●人らがヒロポン(リポD)を白昼堂々、闇市で売りさばく!



メイド喫茶が公然ワイセツ状態で「青空営業」。「陰核派」と大書きされた赤ヘルが革命!を叫んだ瞬間、機動隊が取り囲む!

「君ね!存在自体がどうにもワイセツなの。11時30分、公然ワイセツでゲンコーハンね!!」

と、「数の暴力(芸術)」で本署に連行される「陰核派」。

街中を警らすれば当然の如く、絡んでくる市民!この街では市民のけん銃携行が許可されており、届け出のされていない「モグリ銃」も多い。

芸術活動にも気合いが入――気が抜けない。





「有力組織の資金源になっている」という闇市。実態解明を行えば「新宿 にこにこ市場」は、新宿、所沢、ちばらぎを「シマ」として押える「新宿ブラミー 一家」がシノギとして経営する「フロント企業」と判明。

「おぉ!いい眺めだな!」




と、マル機たちのアツい視線を一手に集めたメイドは――のちに多数の女装が紛れ込んでいたことが判明。

シビレるほどのカオス。

そして、血の気盛んな「ニコニコ市場」は占領軍?のアメリカンなポリスの詰める北町警察を襲い、銀行を襲う。しかし、昭和ポリスの詰める南町警察は管轄違いなのでマーケットで警ら中に茶をシバキつづける!

今度は目抜き通りで「爆弾騒ぎ」が発生。



バクトリの最中、ルパンが登場(!)

市中を走り回るルパンとジゲンと、コバンザメの如く追いかけまわすゼニガタ警部(!)

茶をシバいていた南町警察もおっとり刀で駆けつけ、銃撃戦ののちにルパン一味の身柄を確保!





ルパンである。

ジゲンも銃撃戦の末に検挙!



本署まで護送されるジゲン。



ポツンとジゲン。



身柄を確保後、スルドイ担当官の取り調べが始まる。

「ジゲンさんね~。名前がジゲン?」

「ジゲンが苗字です」




長年の悲願であった「ルパン一派の検挙」を成し遂げ、満面の笑みのゼニガタ警部。しかし、スルドイ担当官は見過ごさなかった――!

「コイツ?どっかで見た顔やな?」



――アホガン国連合国軍司令部爆破未遂事件の首謀者「カミカゼ」!!



「いんたぽーる?マーケット(闇市)にこないだ出来たキャバレー?」

ちばらぎ県警は「インターポール」をロクに知らなかったことから、カミカゼの跳梁跋扈を見過ごしていた!

タレコミによれば「ゼニガタ警部」は、闇市に海外製の武器を卸し、見返りに現金を受け取り、銀行襲撃事件では捜査情報をブラミー一家に流していたという「悪徳デカ」だったのだ!というよりも、「いんたーぽーる」の身分自体が怪しい!

急遽、総員が緊急招集され、「ゼニガタ警部」を二重、三重に取り囲み「ショクシツの時間」がはじまる。

「あーた、いんたーぽーるから来たっていうけんど、証明書あんの?」

「マーケットから袖下貰ってたって話もあんだけど、アンタ、そもそも本物?」


と、厳しい追及が進む。

――そのとき、酔ったふりをしてやり過ごそうとしていたゼニガタ警部が横の係官にもたれかかった瞬間、係官の制帽が落ち、よろめいた!

スルドイ係官の声が響く!!

「●×分!コームシッコウボーガイでタイホ!」

出た!

伝家の宝刀!!

「転びコーボー」(!!!)

混乱に乗じ、「ゼニガタ警部」こと「カミカゼ」が駐車中の車両に飛び込み逃走を図る!

「数の暴力(芸術)」発動。



取り囲んだ機動隊員の芸術活動によって、自動車のフロントガラスは粉砕され、

怒号一発、「喚声前へ!」







こうして「ゼニガタ警部」に正義の鉄槌――カリスマがいませんでした。「情報は間違いでした」では済まされない!いつでも「おみやげ」は必要だ!――が下され、零度市はまた一歩平和へと近づいたのだった。


――そして、この日、カリスマは零度市ではなく、隣県のトチギスタンで行われていたイベントで大暴れしていたのだった。

ちばらぎ県警とカリスマの激しい攻防戦はつづく。


(※ Bigout http://www.big-out.jp/ 主催 「ネオ零度シティ」にて。「第2回ネオ零度シティー」は2014年2月2日に開催決定!)
  
Posted by アホ支群本部 at 00:00Comments(0)雑記