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アホ支群本部
千葉県東葛郡市川町に大正年間に創業した「市川広小路 平和堂」。 創業以来、市川の地で国府台連隊をはじめ、軍部隊納めの商いを行うも市川空襲で焼夷弾の直撃を受け被災、廃業。 平成20年。半世紀余りの眠りから覚醒し、国防産業の「隙間のスキマ」を狙う「国防商会」として再始動。 部隊購入、隊員個人によるセミオーダー、PXメーカーに対する助言等、「かゆいところに手が届く」各種個人装備、被服、旧装備の復刻等を行っています。 詳細は「オーナーへメッセージ」よりご連絡下さい。
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2012年12月20日

ニューナンブけん銃入れについて

「日本警察」のシンボルともいうべき戦後国産けん銃第一号のニューナンブM60。

少し前まで「制服」の外勤警察官といえばほぼニューナンブであったが、その後に導入されたM37エアウェイト、M360Jサクラ等に更新されて、外勤警察官の腰からぶら下がる姿を見ることも少なくなってきたが、現行の「新制服」への切り替え前はエアウェイトも装備されてはいなかったことから、昭和後期ではニューナンブが数の上では主力けん銃として使用され、チーフス、ミリポリなどと共に使用されていた。

「新制服」切替とともにニューナンブ用けん銃入れもいっせいに新型に更新されたが、旧型は南部十四年式、二十六年式用拳銃嚢などの旧軍拳銃嚢などと共通する、型押しで絞り出されたけん銃のグリップのすべてが隠れる「クラムシェル型」のフルフラップを持っており、「ニューナンブ」と聞いて、真っ先にこのホルスターを連想する「昭和生まれ」も多いかと思う。

しかし、このニューナンブ用の蓋付きけん銃入れも調べ出すときりがなく、便宜上名称をつければ、

・「県警型」 蓋の上端が直線的な意匠
・「警視庁型」 蓋の上端が銃把(グリップ)に沿って斜めの意匠




※ 左 「県警型 一般用」 右 「警視庁型 乗車用」

以上の特徴を持つ「県警型」と、「警視庁型」に分けられ、「警視庁型」は、けん銃のグリップに合わせて蓋自体が斜めに切られ、全体的にけん銃入れを小型、軽量化されている。また「県警型」でも、

「昔から大まかな規格は決まっていても、各県警で微妙に仕様が異なっていて、試作したものを県警が警察庁にお伺いを立てて承認されたものが納入されていた」(元・装備品製造メーカー)

といい、けん銃ケース自体の縫製もミシンか、手縫いかといった違いがあり、特徴的な蓋も丸みを帯びたものから、鋭角な形状のもの。蓋自体が一回り大きいミリポリ用などに近い大きさを持つものなど、細かな仕様や製作したメーカーによる違いが顕著で興味深い。今回は復刻版製作の参考に各方面よりお借りした実物を基に比較。



上記の写真は神奈川県警?の払い下げ品とされる、いわゆる「県警型」のもので、「ニューナンブ用けん銃入れ」として、このタイプを連想する人も多いかと思う。この県警型にも大きく分けて、帯革固定部分がホルスターの袋部分に直接縫い込まれた「一般用」と、自動車警ら隊など、車両に乗降する際に邪魔にならないようにけん銃入れの角度を調整できる「乗車用」が存在する。





※ 上掲の二点とも 左 「県警型乗車用」 右 「県警型一般用」 



※ 大阪府警?払下げとされる「県警型」は他のものよりも大きめの蓋が付けられ、横方向で2cm程度大きい。



※左 「県警型 一般用 (大阪?)」 右 「県警型 一般用 (神奈川?)」 

これらのうち、乗車用はとくに手間がかかっており、角度調整用のロック機能のつけられた金具を帯革取り付け部分と、けん銃入れ本体の間に縫い込んであり、負荷のかかる部分のため、相当強靭な皮革を使っていて、縫い糸も番手の最も太い糸で、職人がひとつひとつ縫い上げている。「外勤警察官用の実用品」として作られてはいるが、「実用品として頑丈であることと同時に、警察官としての威厳を持たせることを要求されていたため、造りもおのずと手間暇のかかる方法となった」(元・装備品製造メーカー)という。蓋の造型、けん銃入れ本体の微妙な曲線など、各所にまさに職人技と呼べる手間暇がかけられ、相当なコストもかけられている。

これらの「蓋付きけん銃ケース」は警察官の服制について規定した公安委員会規則の一部が改正された昭和48年(1973年)6月以降に、改正以前から使われていた「ニューナンブけん銃ケース 蓋なし」に代わって製造されたもので、平成6年(1994年)の現行の服装規則へ変更されるまでの20年余り製造されており、「乗車用」が蓋つきけん銃入れの製造開始当初から存在したのか、途中から導入されたのか、はたまた「一般型」と「乗車型」が平成6年まで並行して使用されたのかなどの詳細は不明だ。

「警視庁は予算規模も大きく「首都を守る」という誇りもあったのか、現場警察官からの装備改善の要望を積極的に聞いており、装備品の改良に熱心だった。旧制服の時代にはほかの県警と異なる警棒吊りやけん銃入れを使っていたし、警察庁の規定とはまったく異なる規格を制定。のちに警察庁が警視庁の型を制式化するなどということもあって、他県警と比べて予算も多く持っていたことも大きいが、装備品はいまも昔も独自のものが多かった」(元・払下げ業者)

その「最たるもの」が、「ニューナンブけん銃入れ (警視庁型)」であったという。



前出の様に「警視庁型」は県警型と異なり、蓋の上部が銃把(グリップ)に合わせて斜めにカットされており、「腰の大砲」を携行する上で、無駄なスペースがなくなった分、小型化されて携行しやすいように改良されている。





※ 左 「県警型」 右 「警視庁型」

県警型と比較してみると、全体的な造りが一般的な県警型よりもタイトになっていて、けん銃ケースの袋部分の全長も短くなり、少しでも小型、軽量化しようとした様子が伺える。けん銃ケース自体も二十六年式拳銃嚢とよく似ており、「警視庁型」の導入されたころには旧日本軍の装備品を製作。戦後は警察向けの装備品を多く納入していたメーカーも健在な頃で、「警視庁型」導入の背景にはこのような事情も関係していたのかもしれない。

しかし、この警視庁型の蓋ひとつとっても、「威厳を持たせる」一環か、非常に手の込んだ成形方法で繊細に型絞りされている。この型を使った「絞り」と呼ばれる成形技術は皮革製造メーカーの腕が如実に出る部分で、蓋自体が湾曲しているため、プレスによる打ち抜きが出来ないため、おのずと職人による手作業での切り出しとなり、コスト的にも、技術的にも高くつく。「現代的なコスト感覚ではなかなか作れないシロモノ。作ることが出来る業者も限られてくる」(皮革業者)という。

そして、改めて見てみると、けん銃入れの蓋の上端ギリギリに銃把(グリップ)が当たるように作られていて、けん銃自体をけん銃入れ本体にとめる「安全止革」の寸法も長年の使用で伸びないようにかなりタイトに作られ、この「ダブルロック」から使い込んだけん銃入れでも、ホルスターのなかでけん銃が暴れてまかり間違っても脱落しないように1mm単位の誤差も出ないようにタイトに作られている。「ニューナンブ 警視庁型」ひとつとっても、当時の物作りが、非常に手の込んだ「実用品離れ」した工芸品的な手順で製作されていたことがうかがえ興味深い。


しかし、かつては警備用品として払い下げ品店で売られた外勤警察官の装備品も、民間での需要のない(←あっても困る)「けん銃入れ」とあって、その多くは払い下げられても、

「警察のホルスターはいい革を使っているので火のつきがいい」(元・払下げ業者)

と、これらの「工芸品」も、風呂屋の薪がわりに下町の風呂屋にトラック満載で運び込まれて、年中、燃やされ、またあるものは埋め立て地の造成で東京湾の処理場に埋められたという。

「払い下げられたホルスターのうち、状態のいい物などのごく一部が映画制作会社や映画小道具のレンタル会社に売られ、撮影用に使われた」(元・払下げ業者)

ここに集まったけん銃入れもこのようにして「生き残った」ものの一部と言えそうだ。

そして、そうやって映画制作会社などに渡ったけん銃入れも長年の使用で損耗し、手間暇のかかる製法上、なかなか複製が作れず、映画関係者も代用品に頭を抱えていると伝え聞く。趣味世界でもいくつもの「ニューナンブ用ホルスターのレプリカ」は作られたが、どれも工程や材質を簡略化した現行初期型を模したもので、旧型けん銃入れが作られなかった背景には「複製を作ろうにもコスト的にも厳しく、作れる職人自体が鬼籍入り」(映像制作会社関係者)このような理由もあったという。

「けん銃入れ」ひとつとっても、その背景には時代が見えてなかなか面白い。しかし、日本刀の時代から、三八式小銃の槓桿(ボルト)後部の彫刻など、「武器としては不要な装飾」に心血を注いだ旧日本軍。そして、戦後の「民主警察」に至るまで「武器という実用品に美を求める」日本人の気風は変わっていないのだなと、感じさせられる「ニューナンブけん銃入れ」調査であった。

  

Posted by アホ支群本部 at 21:37Comments(2)調査研究

2012年12月20日

コルト45口径自動式けん銃入れについて

懸案の「ガバメント用けん銃ケース」複製計画の進捗について。いくつか質問メールもいただいていますので、同時に回答します。



※ 昭和50年代の愛知県警警察官の画像。「蓋なし」のガバメントは紺色のけん銃つりひも(回転式用)で下げており、つり金具とランヤードリングの間には金具を介して取り付けられていたことがわかる。


まず進捗状況について。現在までに皮革製造メーカー、自衛隊用品製造メーカー等5社に製作打診をするも、

「革が特殊な規格で現在では調達不可能」
「革厚4㎜を4枚重ねではミシン縫いが出来ず総手縫い。労力的、工場の能力的に不可能」
「作ったとしても一個5万超えは確実」


と、交渉は不調続きでありましたが、過去に警察けん銃入れの制作を行っていた職人の方を発見、連絡を取ったところ、工場には当時の型等は残っていませんでしたが、実物より採寸し、やはり過去警察向けの装備品の刃型を作っていた業者に型製作をお願いし、製造が可能と回答がありました。またけん銃入れ本体に使う特殊規格の革、部材については現在でも特殊用途向けにごく少量が国産で製造されていることが判明、発注しました。

また新年の1月中に見積もりをとり、試作品を製造。その後に細部打ち合わせを経て、来春に本格製造に着手予定。1ロットが約30個前後となりますので、現時点の予約数12個を除いた20個程度を販売予定です。

「平和堂」自体が、企業ではなく、皆、ほかに本業を持ち、貯金のなかからの自腹持ち出しで企画・製造しますので、予算的にも第2ロット以降の製造は完全未定。予約数に達し次第、再生産というかたちとなりますが、

「コルト45口径自動式のけん銃入れ」

という、あまりにニッチな品かつ、「実物工場で、実物部材を使用し製作した複製品」と、「形だけのレプリカ」ではなく、可能な限り、当時の材料、部材を使用した「復刻」を目指し、品質面での妥協は一切しませんので、価格的にも決して安い物とはならないことから、到底、数が出るとも思えず、1ロット限りの製造となる可能性が濃厚です。

全体での発注数を把握、生産量を確定したいと思いますので、購入希望(予約ではない)の方がいらっしゃいましたら「オーナーよりメッセージ」等でご連絡いただければと思います。

また打ち合わせの席上、工場側より「他のけん銃入れも製造可能」と回答がありましたので、第一弾として「コルト45口径自動式のけん銃入れ(蓋なし)」を製造販売し、資金が回収できれば(自転車操業として)第二弾、第三弾としてニューナンブ、M1917等のけん銃入れをはじめとした往年の「昭和警察装備」を復刻してゆこうと考えています。



※ 群馬県警察史より。

以下、「コルト45口径自動式のけん銃入れ」についての調査研究の経過報告。

「Gun Magazine 2012年11月号」(ユニバーサル出版)誌上にて連載中の「SMALL ARMS ACCESSORIES」第三回では「日本警察拳銃アクセサリー(1949~1954)」として、敗戦から高度経済成長突入前夜の日本警察の装備品の変遷を貴重な実物コレクションの高解像度のカラー写真とともに掲載されており、非常に貴重な資料となっており必見。



このなかでも見開き2ページでガバメント用のけん銃入れが解説されており、興味深い記述がある。

「紹介しているホルスターは一般的な形であるが、ほかにアメリカ軍から供与のM1916と同型の国産ホルスターも存在しており、昭和30年代以降に採用された物を含め、複数のバリエーションがあるといわれている」

とあり、当時の事情を知る方に話を聞くと、

「戦後に米軍の拳銃が警察に供与されることとなって、ホルスターや弾入れも同時に供与されていたようで、ガバメントはじめ、自動式のけん銃入れの払い下げは少数だったが、これらのなかに米軍の使っていたボロボロのこれ(M1916を指さす)が混じっていた。昭和の終わり頃の払い下げ品のなかに見た覚えがある」(元払下げ業者)

「ガバメントのけん銃入れは帯革に直接「ベルト通し」に無理やり取り付けているところもあれば、弾帯から吊るす金具の部分に鳩目をあけたアダプターで「騎兵用」のように帯革からぶら下げているところもあった」(研究家)




※ 「日本警察拳銃アクセサリー(1949~1954)」の記事中に掲載された騒擾事件に出動した大阪府警警察官の写真。「蓋なし」けん銃ケースでガバメントを携行し、予備たま入れは蓋が斜めのものを使っていたことがわかる。昭和27年6月。

「日本警察拳銃アクセサリー(1949~1954)」の記述を裏付ける証言が出てきた。しかし、「M1916と同型の国産ホルスター」を所有している人に会ったことはなく、現物の写真等も確認できないため、謎は深まるが、「M1916および同型の国産ホルスターは蓋の部分を止める際にボタンではなく、革にあけた切れ目をギボシで留める形だったため、穴が広がって「バカ」になりやすく、後年の修理等でボタンまたは、自衛隊の弾納等に使われている「亀の子ホック」に改造されていたようだ」という証言もあり、「M1916型」にも外見上のバリエーションが存在したことが伺え興味深い。が、やはり証言を裏付ける資料、写真等が確認できていないが、情報を総合すると、確認された制服警察官用のコルト45口径自動式けん銃入れには以下の種類が存在したようだ。

・蓋なし (昭和20年代初頭~平成6年頃?)
・蓋あり 自衛隊型 (昭和30年代?~不明)
・M1916および同型品 (昭和20年代初頭~昭和後期?)


ということで、「日本警察拳銃アクセサリー(1949~1954)」の資料として貸し出された実物を採寸用に借り受けたので、実物をもとに解説。

「蓋なし」

全国的に使用されたガバメント用けん銃入れの「定番」とみられるもの。昭和20年代の滋賀県警「MP同乗警察官」、昭和50年代の愛知県警の新人警察官、平成6年の埼玉県警機動隊での使用が確認されている。しかし、次回記事で言及予定のニューナンブ用ともども「大まかな規格は決まっていても、県警ごとに細部仕様は異なった」といい、本部単位で細部仕様は異なっていた可能性がある。



※ 「蓋なし」けん銃入れと、予備たま入れ。予備たま入れはガバメント用弾倉2本を収納する。所有者の手元にやってきた経過を聞き取り、出所を調査したところ、「愛知県に本社があるメーカーの本社倉庫で発見(発掘)されたものを店頭に出したところ、所有者が大興奮で購入していった。うちでは官庁の払い下げを受けたことはなく、昔の社員の私物ではないか」とのことで、愛知県警から払い下げられたものを社員の誰かが購入し、倉庫で忘れ去られたものと考えられる。



※ 刻印部分。「COLT 45-5」の刻印あり。製造所刻印等はない。



※ けん銃入れ本体は払い下げ品でも多く出回った「S&W 45口径 回転式用 (S&W 45 JPNA 1208)」と全体の造作は似ているが、ガバメントの太い銃身を包むため、「袋」部分が太くなっており、重厚な雰囲気を持つ。また現行のけん銃入れと使用する部材等は共通だが、革の厚みは現在よりもかなり厚く、表面処理も異なる。



※ 「予備たま入れ」。非常に手の込んだ製作方法で作られており、革厚も4種類を使い分けている。この形状のものは昭和20年代の米軍けん銃の供与開始直後に導入されたが、他にも通常の45口径回転式の予備たま入れを縦方向に伸ばしたような「ガバメント用予備たま入れ」が存在したとも聞くが詳細は不明。後述する「45口径 けん銃入れ 蓋あり」は自衛隊の「11.4㎜警務隊用」から角度調整金具を省略した同型であり、予備たま入れも自衛隊で使用された「M1916用または米軍型」が存在した可能性が高い。

「蓋付き」



M1916型のフラップを小型化したような自衛隊の「11.4㎜けん銃(ガバメント)」の警務隊用ホルスターの袋形状は同じで、角度調整部を省略したものと考えられる。「蓋なし」と比較すると、革自体の厚みが若干薄くなっており、裏側にも一切の刻印は入っていない。「自衛隊用を警察用に採用した」のか「警察用を自衛隊用に採用」したのかは不明。修復によるものかは不明だが、同型で蓋の固定がスナップボタン、「亀の子ホック」のものも存在するらしい。余談だが自衛隊の「11.4㎜けん銃(ガバメント)のホルスター」も複数の説があり、謎が多い。



※ 米軍用のM1916ホルスター。供与当時は米軍で黒色のもの(1956年(昭和31年)頃よりモデルチェンジ)は採用されておらず、茶色の物を警察では黒く染めて使用していたという。


日本昭和警察の「ガバメント用けん銃入れ」も複数種類が存在していたようだが真相は闇のなか。

「自分が使っていたものはこうなっていた」
「先輩のガバはこのようにぶら下げていた」
「昔の報道写真のなかにこんなものが映っていた」


等、詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひともご教授いただければと思います。

現物が確認され、要望があり次第、次回、復刻の候補に入れてゆこうと考えています。
  

Posted by アホ支群本部 at 16:47Comments(0)調査研究

2012年12月11日

戦後警察けん銃について (資料編/群馬県警察史)

「終戦直後の群馬県警はモーゼルを使っていた!」と、超限定的に話題になっている群馬県警察史のコピーを頂いたので、メモ代わりに抜粋。


本県(群馬県)警察部の保管けん銃は、昭和二十一年二月六日の時点で五三丁であったが、翌二十二年二月には七銃種三一七丁と大幅に増加した。その理由については史料がなく詳細は不明であるが、警察官の個人所有三三丁が含まれていること、銃種が多種にわたっていること、三一七丁のうち二〇五丁が旧陸海軍が使用した一四年式けん銃であることなどから、警察官のけん銃携帯に備え、旧軍隊保管けん銃を警察用に保管転換したものと考えられる。警察部ではこれらのけん銃を各署に配分し、治安情況に応じて夜間警らなどの際に適宜携帯させた。

けん銃配分一覧図の「地区警察署」の項目では、昭和23年3月現在として、

(警察本部)

一四年式 一一丁
九四式 四丁
ブローニング 一丁
コルト 二丁
二六年式 二丁
その他 五丁

計五六丁

群馬県の政経中心であり、一線署であった、前橋、高崎の両署では、

(前橋市警察署)

一四年式 一二丁
九四式 二丁
モーゼル 一丁

計一五丁

(高崎市警察署)

一四年式 一〇丁
九四式 二丁
モーゼル 一丁
計一三丁

群馬県下の規模の大きな都市部の警察署を中心に昭和23年3月当時で「モーゼル」が1~2丁配置されており、本部保管分と合わせた場合、数の上で並び替えれば、

1 一四年式 214丁
2 モーゼル 38丁
3 二六年式 36丁
4 九四式 22丁


十四年式拳銃に次ぐ勢力が「モーゼル」であったことがわかる。当然、詳細な形式の記載はないためC96とその派生バージョンである証明はできないが、戦中に旧軍でも将校の「自弁」を中心にモーゼル拳銃は幅広く使用され、戦時中、福岡県警察部が「独逸モーゼル自動拳銃」として内務大臣に使用認可申請していたことから、群馬県警でも装備?された可能性を排除しきれず、外地の警察ではC96の射撃訓練の様子を写した記録写真も残されている。

戦時中の警察、旧日本軍でC96は使用されていたことから「旧軍けん銃を警察用に転換した」際に紛れ込んだ可能性も考えられ、「警察官の個人所有三三丁」にモーゼルが含まれた可能性も否定できない。昭和12年(1937年)に発売されたモーゼルHScの可能性も排除できず断定はできないが、非常に興味深い。





※ 昭和12年(1937年)に発売されたモーゼルHScの可能性も存在するが、C96の場合、戦時中、外地の警察官が装備しており、「C96がモーゼルを指す」可能は高い?

「(群馬県警のけん銃の数は)昭和二十一年二月六日の時点で五三丁であったが、翌二十二年二月には七銃種三一七丁と大幅に増加(中略) 三一七丁のうち二〇五丁が旧陸海軍が使用した一四年式けん銃であることなどから、警察官のけん銃携帯に備え、旧軍隊保管けん銃を警察用に保管転換したものと考えられる。」



※ 日本軍の拳銃としてもっとも有名な南部十四年式は、戦後も警察をはじめ海上保安庁等で使われた。



※ 各地の警察史を調べると十四年式と並んで二十六年式も多数使用されていたことがわかる。



※ 戦後警察で九四式拳銃の使用も確認されているが、十四年式、二十六年式、九四式以外の日本軍制式拳銃の名称は現在まで資料上では確認出来ていない。

旧軍けん銃の警察用への転換は「史料がなく詳細は不明」とするも、昭和21年から22年の間に行われたことが伺われる。

この部分に関するヒントは昭和21年にGHQ(連合国軍総司令部)が日本政府がに発した、警察官のけん銃携帯が承認されたという「覚書」のなかにある。

昭和二十一年一月十六日
「日本警察の武装についての覚書」(抄)
(総司令部覚書)

一 最高司令部の得た情報に依ると、日本政府は武装解除の指令を誤解したため警察官の武装を差控へている由である。司令部より発せられた指令は必要な場合、日本の警察官がけん銃をもって武装することを禁止したことはないし、また、司令部としては何等このような禁止を意図したこともない。

二 日本の警察は日本警察が必要と認めた場合、其の任務を遂行するに際にけん銃を携帯することは何等差支えないことを茲(※ここ)に通告する。但し、日本の警察の使用し得るけん銃の総数は。司令部に依り許可された日本の警察力の総数を越えてはならないことは規定に定められている通りである。

三 現に日本警察の保有している凡ての銃器は、前述の各項に依って認可されたけん銃を除き、一九四六年三月一日又はそれ以前に既定の武装解除方式に従って、米国陸軍占領部隊に引き渡さなければならない。

(警察制度の経過資料編)


という内容の覚書が「警察射殺権に関スル覚書」とともに出された。覚書のなかでは「日本政府は武装解除の指令を誤解したため警察官の武装を差控へている由である」つまり、「日本政府と警察は武装解除を誤解して、けん銃の携行を「自主規制」しているが、GHQとしてはそのような指示はしておらず、必要とあれば武装しなさい。ただし、警察官定員数を超える装備は禁止。けん銃以外の銃器は武装解除の対象であるので、それぞれ現地の占領軍部隊に差し出しなさい――といっていることとなる。

「旧軍けん銃の警察用への転換」について群馬県警史は「史料がなく詳細は不明」とするも、この覚書が出された昭和21年1月16日から翌22年の間に行われたことが伺われ、この覚書がきっかけとなった可能性が高い。

福島県警史のいう、「昭和21年の時点で内務省警保局警務課長が連合国最高司令部CIS公安課を訪ね「警察官のけん銃携帯使用に関しての覚書」を受領したが、この際に「最高司令部から地方の進駐軍に対し、けん銃携帯許可を指令して頂きたい。各地で警察官のけん銃携帯を問題として取り上げるような所もあり、ぜひ警察官のけん銃携帯使用について徹底して頂けるよう取り扱われたい」と、要望するも、GHQ側は「警察官のけん銃携帯は当然のことであって、ことさらに通達して米軍に周知させる必要はない」と、述べた」という記述とも符合。

「この年(※昭和21年)の五月には連合軍から多量のけん銃が渡された。福岡県でも一〇〇〇丁が交付され、外勤警察官三人に一丁の割合でけん銃を所持するようになった(福岡県警史)」という記述も、時期的にこの覚書がきっかけとなったと考えられ、同時期に行われた「一部の米軍軍用けん銃の貸与、旧軍けん銃の転換」は、この覚書の「解釈」とも考えられる。

つまりGHQのいう「日本政府は武装解除の指令を誤解したため警察官の武装を差控へている」という「自主規制」に言及した覚書の発出の背景には地方進駐の占領部隊と、GHQの間で認識の差があり、地方進駐の米軍部隊でも、片や日本警察にけん銃を支給し、片や日本警察の装備していたけん銃を取り上げるなど対応が地方によってにばらつきがあったことが伺えるのだ。

そして、ようやくGHQの「お墨付き」がついた戦後日本警察の武装であったが、戦時中からの装備けん銃、戦後の米軍けん銃の貸与、旧軍けん銃の転換を行っても、昭和24年の米国貸与開始直前の警察行政監察報告では、「当時のけん銃は「警察官五名に一丁の割合でその様式は百七十数種に及んでいる」 (千葉県警察史)と整備が遅れており、つづいて昭和23年「警察力増強」を目的とした以下の覚書が出されることとなった。

同年(昭和23年)七月十八日警察装備増強のため連合国軍総司令部からの覚書によって、米国製けん銃が日本政府に引き渡されることになり、国家地方警察本部を通じ、逐次各都道府県に配分されることとなった。
本県(群馬県)では、昭和二十四年七月二十三日東京管区本部警務部長から「貸与けん銃の取扱いについて」(東管人発第三六〇号)が通達されたため、同月二十五日各課署長に対し次のとおり「米軍貸与けん銃について」(秘人装発第四六号)をもって、けん銃の受け入れ準備を指示した。


一 新けん銃の配布は、旧けん銃の修理のため貸与されたものであること。
二 紛失その他の事故防止について、その取扱いに注意すること。
三 けん銃射撃講習会を全警察官に対して実施するが、各人三日間一期三〇人宛の方針であるから計画通り受講させること
四 けん銃の貸与は原則として、講習修了者より行うこととする。
五 警察署における措置として
1 旧けん銃の回収準備を行うこと。
2 けん銃貸与簿を作成しておくこと。
3 けん銃の着装は帯革の完成まで、ズボンのバンドの右腰部に着用すること。


(中略)警察官に対するけん銃の個人貸与に伴って、昭和二十五年一月十日、「警察官服制の一部を改正する訓令」(国家地方警察訓第一一号)が定められけん銃、帯革、帯革止が制式化された。


と、「新けん銃は旧けん銃の修理」名目で秘密裏に配備されたこと、帯革などの装備品は「新けん銃」の支給と共に開始されたわけではなく、当初より国内製造されていたことが伺えて興味深い。

また群馬県警察史は「新けん銃」配布前後の様子をつづける。



※ 撮影年月日不詳なるも、「ガバ」には樹脂製グリップ、「ミリポリ」にはグリップアダプターが付けられていたことがわかる。

「けん銃操法指導要員として数人の警察官が、米軍基地に派遣され講習を受けるなどの措置もとられた。こうした準備を経て、同年(24年)九月国家地方警察官へはS&W三八口径回転式、自治体警察官にはコルト四五口径自動式が個人貸与され、警察官のけん銃常時携行が実施された。
けん銃の弾丸はS&Wについては六発装てんして予備たま一二発の一八発、チーフスペシャルは五発装てんして予備たま一〇発の計一五発、コルトは七発装てんして予備たま一四発の計二一発を所持させた。」


昭和24年当時、けん銃に弾は「フルロード」されていたことがわかる。また、上記記述では、「昭和24年の米国貸与けん銃(その後に日本政府へ譲渡)貸与開始当初からチーフスペシャルが含まれていた」というように読めてしまうが、S&W M36チーフスペシャルの販売は翌年の昭和25年(1950年)に米国で開始されていて、昭和24年(1949年)の米国による日本警察へのけん銃貸与とは時間が合わず、その後の規定等から引用した記述が混同され、誤解を受けるような記述になってしまったと考えるのが自然だろう。しかし、群馬県警察史の「けん銃予備たまケース」の記述部分では、

予備たまは、ばらのまま予備たま入れに収納していたが、吾妻地区警察署勤務巡査藤井省三がS&Wについては六発、チーフスペシャル及びコルトデテイクティブ(※原文ママ)については五発を固定して収納できる、次図のよびたまケースを考案した。本県では、昭和二十八年六月二十九日「けん銃予備たまケース使用及び取扱要綱」(群本例規第三八号)を定めている。






※ 「けん銃予備たまケース」の図。



※ 「けん銃予備たまケース」は「予備たま入れ」のなかに挿入する形で使用した。

現代でも「さすまた」を考案し、全国の警察で装備されるきっかけを作った群馬県警の先進性が垣間見えて面白い。この「けん銃予備たまケース」は革製の「予備たま入れ」のなかに使用するもので、「ツメかけ」がつけられた金属板状の「スピードローダー」ともいえる形状を持ったものであったが、この「けん銃予備たまケース」が例規集で定められた昭和28年(1953年)以前からチーフスペシャルは装備していたということになるが、「(戦後の)輸入けん銃」は千葉県警察史によると「昭和三十四年(1959年)度以降、警察官の増員に伴ってけん銃の整備が図られることとなり、当初、増員分のけん銃は輸入に頼っていたものの、昭和三十五年(1960年)度に初めて国産けん銃ニューナンブM60型が採用されたことから、同四十三年(1968年)度以降は一貫して同一銃種による整備が行われた」(千葉県警察史)とあり、この警察官増員に伴うけん銃の輸入開始以前から、「群馬県警ではチーフスペシャル、ディテクティブは存在していた」と読める。ここでいくつかの可能性が浮上する。

・昭和24年(1949年)の「米国貸与」時に軍用拳銃だけでなく、市販拳銃(チーフス1950年発売)も貸与された可能性。その場合、「米国貸与」も一括ではなく、複数回に分かれて行われた?こととなる。
・昭和34年(1959年)以降、チーフスペシャル、ディテクティブが輸入され、輸入後の規定が混同された可能性


以上の「説」が存在することとなる。

群馬県では「自治体警察は38口径回転式、国家警察がコルト45口径自動式」であったと記しており、福島県では「自治体警察は45口径のけん銃を持っていたんです。国警は38口径」(福島県警察史)とあり、自治体によって「米国貸与けん銃」の配布状況は異なっていたようだ。しかし、ここでは「牛殺し」こと「コルト45口径回転式」の記述はなく、群馬県警での配備の状況が見えてこない。



※ 情報を総合すると日本警察の「ミリガバ」には後天的な処理などで複数の表面処理が存在するも、比較的オリジナルの形を廃棄まで残していたと思われる。



※ 「ミリポリ」ことS&W military&police victory model。戦後米国より4インチと5インチが貸与され、一部は少なくとも平成16年まで使用された。

また、群馬県警察史はけん銃使用について、

「昭和二十四年五月二十八日威嚇射撃の禁止、警察官は単なる威嚇の為に構えてはならない、騒擾の鎮圧など部隊行動においては、現場の最高指揮官の指示によって使用するなどを内容とする一部改正(国家地方警察訓第一七号)が行われ」ていたが、「新けん銃」の導入、警察官の「けん銃全員装備」が開始されたことで、翌年には再度規定が変えられたことを記している。「同年(25年)四月十五日「警察官けん銃使用及び取扱規程」(国家地方警察訓第一七号)が制定された。主な改正点は、新たに安全の章が設けられ安全規則並びに取扱上の注意が加えられた(第六条)こと、あらかじめけん銃を取り出し構える場合(第七条)と、けん銃を撃つことのできる場合(第八条)がそれぞれ別に規定されたこと、威かく射撃が禁止(第一一条)されたこと、けん銃及び弾薬が常時携帯常時装てん(第一五条)に改められた」

現在とは異なる世相が透けて見えて興味深い。


――と、このように資料を突き合わせることで、少しだけ垣間見えてきた終戦直後の日本警察のけん銃事情であった。  

Posted by アホ支群本部 at 01:03Comments(4)調査研究

2012年12月08日

戦後警察けん銃について (資料編/「なつかしの徳島」)

「なつかしの徳島」はローカル局の四国放送(JRT)が放送する「おはよう徳島」のなかの一コーナーで、「40年前のこの日、どんなニュースが流れたのか。四国放送の映像ライブラリーから毎日お送りするコーナー」というが、その紹介画像を見るだけでもかなり濃い。

「けん銃射撃競技会」だけで、2008/10/31と2007/8/30の二回放送されていることがわかり、「鉄道公安官の訓練」なる映像まで朝から流している。寝ぼけマナコでこんな映像を見せつけられたら、その日、一日、俄然気合いも入るというものだ。この企画のディレクター。ぜったい「好き者」である。


このうち「拳銃射撃競技会」では、それぞれ昭和43年10月31日、昭和42年8月30日の「徳島県警けん銃射撃競技会」の様子を映しているが、ちょうど昭和43年前後は当時の「新制服」への切り替え時期で、警察官の服制の変化も興味深い。

(余談だが日本のお役所では「拳銃」ではなく拳という字は常用漢字にないので正しくは「けん銃」であったが、近年常用漢字に「拳」が含まれたので、今後、表記は変わって行く?かも)



S&W military&police 5インチと思しき拳銃を構える警察官。気だるげな盛夏半袖シャツが昭和感度高め。角度により断定はできないが、「けん銃つりひも」は紺色の自動式用と思われる。けん銃には不鮮明だが、銃把(グリップ)中央のネジ穴付近にダイヤ状の彫刻があり、右下写真でもグリップにはめ込まれたメダリオンが見えないため、戦後、国内で製造されたニューナンブ用のものと同様のこげ茶色ベークライト様の樹脂製銃把と考えられる。また、グリップアダプターが取り付けられていたことがわかる。



「鉄道公安官の訓練」では、Colt Official Policeと思われるけん銃を構えるベテラン公安官の凄みある目つきがたまらなく昭和感度を高める。この画像で面白いのは、旧制服時代の警察官は盛夏服着用期間中、「帯革」の「負革」を取り外し、帯革のみをズボンのベルトに合わせて装着。「帯革留め」で帯革本体のみを着装していたが、鉄道公安官は盛夏服着用の場合も負革を着装していたことが伺え、興味深い。鉄道公安官のコルトオフィシャルポリスにもグリップアダプターが付いている写真を見たことがあるが、この写真からは判別できず、「けん銃つりひも」の装着も確認できない。また、銃本体のランヤードリングの有無も不明。

余談だが、鉄道公安ではコルトオフィシャルポリスの他にもけん銃が装備されたというが、詳細は全く不明。また鉄道公安官はけん銃は常時携行せず、現金輸送車「マニ車」の警備、皇族方の警衛警備などの際にけん銃を着装。警棒は制服の鉄道公安官でも木製ではなく、特殊警棒を携帯したという。



右上写真ではのほほんとした「駐在さん」然としたおまわりさんが構えるS&W M1917 5.5インチがたまらなく「仕事で持たされてる感」を醸し出してたまらない。

右下写真を確認しても、当時の新制服である「43年制服」に切り替えられた昭和31年12月制定の通称「32年制服」を着用している。主な識別点は胸ポケットフラップと、前合せのボタンの数。当時の写真を確認すると、昭和43年の「43年制服」へのモデルチェンジ後も32制服を着た警察官の写真が見つかり、被服の交換分を個人で破棄せずストックして「私物」としていたのか、「ゆるやかな交換」であったのか不明だが、平成6年制服導入時とは異なり、40年代当時は「完全な切替え」ではなかったようだ。



以前の記事の画像を再掲。こちらの放送は「総天然色」であったことから、S&W M1917の細部が確認でき、銃把は米国貸与時代からのオリジナル?の木製でチェッカリングのないスムースなものであることがわかる。徳島県警でいつの時代まで紺色負い紐が使用されたのか確認できないが、民主警察として日本警察が再興した当初から警視庁は白色つりひもを使用し、皇宮警察は臙脂色のつりひもを使い、43年制服導入を機に、全国的に「白色けん銃つりひも」が導入されてゆくが、福島県警、愛知県警などの一部県警は平成6年の服制改正まで頑なに「紺色つりひも」を使用し続けた。


――しかし、どれだけ探しても「なつかしの徳島」の動画が確認できず残念至極。

ノーカット完全版をぜひともDVD化して欲しい!と、徳島に向かって祈念する今日この頃だが、まず無理だろう。しかし、どんな放送だったのか、気になるところである。  

Posted by アホ支群本部 at 07:00Comments(2)調査研究

2012年12月07日

戦後警察けん銃調査の雑感 2

いろいろ調べてみると、現代日本も相当数の「骨董銃器」が残存していることがわかって興味深い。

「平成16年まではミリタリーポリス回転式けん銃、ブローニング自動式けん銃があった」

「我が県警からコルト回転式が消えたのは平成22年。平成23年になり新たにサクラ回転式、HK P2000自動式が配備」

「ワルサーPPK自動式は相当数が輸入され、現在もシグ230自動式より数が多いのではないか?」

「警視庁では平成10年頃まで米軍おさがりの『45口径回転式』(S&W M1917)を使っていた」

「新制服導入後(平成6年以降)、新制服用のM1917のけん銃ケースが存在した」

「やはり新制服導入後に、婦人警官がカールコードの付いたコルト25を持っている写真がある」

「コルトポケット(32オート)は平成10年頃でもバリバリ使っていた」

「サクラ回転式、HK P2000自動式は評判が悪く、エアウェイトやチーフスを引っ張り出して使っていた」


等、各方面の話を伺い、資料をあたると、日本警察の物持ちの良さと、想像を超えるバリエーション――弾薬の種類だけでも相当な幅があることに驚かされる。



※ 高知県警警察学校。2008年。



※ 低解像度のため詳細は判別できないが複数種類の回転式けん銃がうつっている。

ここで現時点ではひとつの推論でしかないが、自衛隊の場合、小銃は「●●式小銃」と、型式の制式化がなされてネジの径まで仔細に記した厳格な仕様書を設定。量産、配備され、通常、一切の別の選択は許されない。しかし、それでは運用上の柔軟性がもてないことから、近年、導入された「対人狙撃銃」の場合、型式の指定はなく、仕様書で決定されるのは「7.62㎜」の口径などの大まかな規定だけであって、選択に幅を持たせている――ともいえる訳で、警察の場合、けん銃の調達に関しては後者のスタイルととっていたのではないか?とも考えられる。

つまり、「89式小銃は64式小銃の、64式小銃はM1小銃(および99式小銃)の代替」として、それぞれの時代に「新小銃」として従来の小銃が代替され、更新される場合は原則的に中隊等の部隊単位で一斉に装備される。

日本警察の場合、予算にしても国費と県費での調達があって一元化されておらず、部署による選択にもかなりの柔軟性が持たれているようだ。一昔前は「ニューナンブM60」で使用けん銃を統一しようとした痕跡はあるが、そもそものけん銃のバリエーションが多すぎたことや、射撃訓練の機会が少なく、実際の使用例も僅少な日本警察の特殊事情から通常の耐用年数をはるかに超えた配備が可能だったともいえる。そこで、日本警察の場合、「数の上での主力けん銃」であった、

S&W M1917 → ニューナンブM60 → S&W M37エアウェイト

と、「『新けん銃』に更新がなされたように見える」が、どうやら一斉取り替えではなく、現在でも「サクラ回転式」が導入されたとはいえ、県警にもよるが一線署の地域課等でもニューナンブM60、S&W M37エアウェイトが混在していて、さらには制服警官に対しても少数ではあるようだが、SigP230、HkP2000などの配備も行われていることから、どうにも「新けん銃」の導入、配備には一定の規則性がなく、

「予算年度によってそれぞれ調達されたけん銃を損耗交換分として配備」

していると考えられる。当然、現在ではけん銃使用の可能性の高い部署等への優先的な配備はあると考えられるが、現在ではかつてのように「回転式は制服警察官、自動式は私服警察官」という「常識」(←思い込み)も通用しない状態で、日本警察の装備するけん銃の幅の広さ――近年導入され、確認された物だけで、SIG P230、M360Jサクラ、Hk P2000、ベレッタバーテック、S&W M3913 レディースミス、グロックG17(?)と、この一貫性のないラインナップには、戦後混乱期を彷彿とさせるカオス状態と評することも出来る。

そこで総理官邸資料のP21に注目。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/bouei/pdf/sankou4_1.pdf。警察庁の「一般警察官用のけん銃の調達」では、「複数銃種の携帯性、撃ち易さ、安定供給可能性、価格等を総合的に検討」「けん銃銃種選定委員会において、銃種を決定」しており、調達では「随意契約により国内にある輸入代理店を通じて調達定価の把握、市場調査、代理店より入手したメーカーからの見積価格により価格の妥当性を確認」とある。が、ここで語られているのはあくまで「一般警察官用」であるのに注意。しかし、競争入札で予算年度による銃種の違いがあるのならわかるが、「選定委員会で決定した銃種を随意契約」であるから、「一般警察官用」ではないところで、いろいろ「大人の事情」があるのであろう。

(余談。当該資料P22 「自衛隊及び各国軍隊の定年年齢」の自衛隊の階級と、米軍階級の対応。とくに将と曹の部分が興味深い)



※ 宮城県警けん銃射撃競技会 2009 http://www.news24.jp/articles/2009/10/06/07145149.html



※ 映像射撃シュミレーターの様子。



※ けん銃射撃競技会の様子。中央の警察官がS&W M3913 レディースミスを使用。



※ 現在は「婦人警官だから小型」という訳でもない。ニューナンブ77㎜銃身を使用。よく見たら前から二人目の男性警察官のけん銃は4インチ銃身。ミリタリーアンドポリスか?



ヘルメットのマークから千葉県警機動隊の銃器対策部隊と思われる警察官。けん銃入れにはSigP230


日本警察の使用けん銃。戦後は戦後で収拾が付かず、現代は現代でアウトラインは見えても、実際の中身は一切がベールのなか。「日本警察装備史」。世にあるミリタリー、銃器研究のなかでも「至難のテーマ」とは本当である。


しかし、ミネベアがS&Wと業務提携を「サクラ」の共同開発?以降、加速させており、豊和はHk――と、そのうち日本警察もM&P、自衛隊はHk416の「ライセンス生産」あたりに手を出しそうな気配である。無念。  

Posted by アホ支群本部 at 21:27Comments(2)雑記

2012年12月04日

戦後警察けん銃について (資料編/福島県警察史)

千葉県警察史につづいて「福島県警察史」を紐解いたメモ。

「福島県警史」では「第三節 けん銃の携帯」の項にて戦後の混乱下の福島県警けん銃事情について、非常に仔細に記述している。とくに当時、「極秘扱い」であったという戦後間もなくのけん銃の装備事情は当時の世相が透けて見えて興味深い。



本県(※ 福島県。昭和21年)に於て現所有銃は、

十四年式拳銃 六挺 実包 一八〇発
二十六年式拳銃 二挺 実包 一〇発
其他回転式異種型拳銃 一六挺 〇発

計二四挺 一九〇発

其の他の回転式異種拳銃一六挺は、弾薬、実包皆無にして、使用不能。
昭和二十一年五月十五日、青森県警察部より 

十四年式拳銃 一〇〇挺 
同弾薬、実包 三〇〇〇発

を借用し、其の内青森県より借用拳銃を同年七月一日左の通り県下各警察署に配布す。


この「福島県警察史」のなかで「南部十四年式拳銃」の正式な部内での名称は「口径8ミリメートル 14年式 自動装てん式」であったという記載があり、興味深い。この「口径8ミリメートル 14年式 自動装てん式」をはじめとした旧軍けん銃その他の装備で始まった戦後福島県警のけん銃装備であったが、福島県警史が出典とした「福岡県警察史」では昭和21年当時のGHQとのやりとりを記述している。

こうして警察官のけん銃携帯は、GHQによって正式に認められたのであるが、各府県とも、これによって直ちにけん銃を警察官吏に携帯させたわけではなかった。もっとも一部の県では地方進駐の占領軍当局から貸与され、これを携帯させたところもあったようである。

「この年(※昭和21年)の五月には連合軍から多量のけん銃が渡された。福岡県でも一〇〇〇丁が交付され、外勤警察官三人に一丁の割合でけん銃を所持するようになった(福岡県警史)」とあるが、本県(※福島県)ではこうした事実はなかった。

昭和21年の時点で内務省警保局警務課長が連合国最高司令部CIS公安課を訪ね「警察官のけん銃携帯使用に関しての覚書」を受領したが、この際に「最高司令部から地方の進駐軍に対し、けん銃携帯許可を指令して頂きたい。各地で警察官のけん銃携帯を問題として取り上げるような所もあり、ぜひ警察官のけん銃携帯使用について徹底して頂けるよう取り扱われたい」と、要望するも、GHQ側は「警察官のけん銃携帯は当然のことであって、ことさらに通達して米軍に周知させる必要はない」と、述べたという。

以上の記述から、昭和24年の「米国支給けん銃」の支給開始以前から、

・内務省時代からの引き継ぎ?けん銃 (十四年式、二十六年式、九四式拳銃等)
・昭和21年に進駐軍から支給された軍用拳銃 (M1911A1等?)

県によって以上の二つの流れがあったことが伺われる。



(※ 1945年頃に滋賀県で撮影とされる「MP同乗警察官」。フラップが斜めになった日本警察独特のM1911A1用の予備弾入れが見える。撮影年が1945年前後とすれば「昭和24年の米国貸与以前から米軍用けん銃が貸与されていた」こととなり、予備弾入れなどの装備も戦後すぐに製作されていたこととなる)

「昭和二四年(一九四九)七月一日に、GHQ公安課長プリアム大佐から、日本政府に覚書が手交されて、日本警察定員一二万五〇〇〇名に対して、けん銃一挺、実包一〇〇発あてが貸与されることとなった。日本政府では、国家地方警察本部装備課長がその責任者として受領し、その他の部品とともに、同年一〇月一日に全国の国警三万人、自警九万五〇〇〇〇人の全員に貸与されることとなった。なお、このとき、従来持っていた旧型けん銃は回収されることとなった」(『山形県警察史』下巻一五三〇ページ)とある。ただ、引用の記述中、国警、自警全員に貸与されることとなったというが、本県(福島県)にあっては自治体警察は国家地方警察よりもかなり遅れて貸与されており、国家地方警察の警察官も全員が一斉に貸与されたわけではなかった。


昭和24年にGHQからの覚書によって警察官の「1人1挺体制」が整備されてゆくこととなるが、「このとき従来持っていた旧型けん銃は回収されることとなった」といい、福島県警史によると装備数の上では1位、2位であった南部十四年式拳銃、二十六年式拳銃、其他回転式異種型拳銃などが回収されたと考えられるが、そこでひとつの謎が生まれる。

米国貸与けん銃のS&W M1917、COLT M1911A1、S&W Military & Policeなどとともに、近年まで使われたCOLT M1903(32オート)、ブローニングM1910などの小型けん銃は昭和24年の米国貸与けん銃の支給以前から装備されていたものとして、この際に回収されていたのか?その場合、保管後に警察官増員の折に再支給されたものなのか?はたまた「米国貸与けん銃」につづき、警察官増員の折に輸入された「輸入けん銃」なのか、一切が不明なままだ。

しかし、ひとつの可能性として「(M1917やM1911A1、S&W Military & Policeといった米国貸与けん銃の支給が開始されて)従来持っていた(十四年式や二十六年式などの)けん銃は回収」されたが、「回収=廃棄」ではなく、千葉県警察史の記述にもあるように、

「昭和三十四年度以降、警察官の増員に伴ってけん銃の整備が図られることとなり、当初、増員分のけん銃は輸入に頼っていたものの、昭和三十五年度に初めて国産けん銃ニューナンブM60型が採用されたことから、同四十三年度以降は一貫して同一銃種による整備が行われた」(千葉県警察史)この米国貸与の開始された昭和24年から昭和34年までの10年間に、一部の機種(比較的多数が装備されていて、改修部品等のストックの充分にあるもの?等)は「回収→保管」されて、使用されたとも考えられるが、福島県警察史も率直に認めるように、当時の資料は少なく、「新けん銃」こと米国貸与けん銃の支給等は極秘に行われたことから詳細を辿ることは困難だ。



(※ 警察白書より「点検を受ける刑事(昭和30年代)」のキャプションのつけられた写真。不鮮明だが、ブローニングM1910ないしコルトM1903と思しきけん銃を装備している)

また、福島県警史は昭和24年当時にGHQより貸与されたけん銃について、

貸与けん銃は、回転式と自動式で、その種類はS&W・Colto・Comma-ndo・Coltoffなどである。

「自治体警察は拳銃の帯用が国家警察より半年くらいおくれていたんですね。国家警察が先にけん銃をもって、自治体警察は警棒ですから、子供がいいピストルを持っているのと同じで、国家警察が拳銃を持っているのをうらやましがって、いつわれわれがけん銃を帯用できるかと思ったものです」(元・郡山市警察長)

「自治体警察は45口径のけん銃を持っていたんです。国警は38口径の小さなものだったんです」(元・県警刑事部長)

これらの記述のなかで「Colto」など明らかな誤植と思われるが、福島県警察史が言わんとした銃種については、推察、要約すれば「貸与されたけん銃は回転式と自動式で、その種類はS&W・Colt・Colt Commando、Colt Official Policeなどで、自治体警察が45口径、国家地方警察が38口径を装備していた」といえるが、やはりここでも「小型オート」についての記述はなく、謎は深まるばかり。


警察庁、各都道府県警察、皇宮警察、鉄道公安局、海上保安庁などの組織、機関の公開資料を突き合わせれば全体の輪郭を辿ることは出来るかと思うが、どうにも先は長い。


(追伸)

各方面より非常に勉強になるメッセージの数々まことにありがとうございます。
不勉強ではありますが、今後もご指導のほどよろしくお願いします!  

Posted by アホ支群本部 at 18:42Comments(0)調査研究