2012年12月08日
戦後警察けん銃について (資料編/「なつかしの徳島」)
「なつかしの徳島」はローカル局の四国放送(JRT)が放送する「おはよう徳島」のなかの一コーナーで、「40年前のこの日、どんなニュースが流れたのか。四国放送の映像ライブラリーから毎日お送りするコーナー」というが、その紹介画像を見るだけでもかなり濃い。
「けん銃射撃競技会」だけで、2008/10/31と2007/8/30の二回放送されていることがわかり、「鉄道公安官の訓練」なる映像まで朝から流している。寝ぼけマナコでこんな映像を見せつけられたら、その日、一日、俄然気合いも入るというものだ。この企画のディレクター。ぜったい「好き者」である。
このうち「拳銃射撃競技会」では、それぞれ昭和43年10月31日、昭和42年8月30日の「徳島県警けん銃射撃競技会」の様子を映しているが、ちょうど昭和43年前後は当時の「新制服」への切り替え時期で、警察官の服制の変化も興味深い。
(余談だが日本のお役所では「拳銃」ではなく拳という字は常用漢字にないので正しくは「けん銃」であったが、近年常用漢字に「拳」が含まれたので、今後、表記は変わって行く?かも)
S&W military&police 5インチと思しき拳銃を構える警察官。気だるげな盛夏半袖シャツが昭和感度高め。角度により断定はできないが、「けん銃つりひも」は紺色の自動式用と思われる。けん銃には不鮮明だが、銃把(グリップ)中央のネジ穴付近にダイヤ状の彫刻があり、右下写真でもグリップにはめ込まれたメダリオンが見えないため、戦後、国内で製造されたニューナンブ用のものと同様のこげ茶色ベークライト様の樹脂製銃把と考えられる。また、グリップアダプターが取り付けられていたことがわかる。
「鉄道公安官の訓練」では、Colt Official Policeと思われるけん銃を構えるベテラン公安官の凄みある目つきがたまらなく昭和感度を高める。この画像で面白いのは、旧制服時代の警察官は盛夏服着用期間中、「帯革」の「負革」を取り外し、帯革のみをズボンのベルトに合わせて装着。「帯革留め」で帯革本体のみを着装していたが、鉄道公安官は盛夏服着用の場合も負革を着装していたことが伺え、興味深い。鉄道公安官のコルトオフィシャルポリスにもグリップアダプターが付いている写真を見たことがあるが、この写真からは判別できず、「けん銃つりひも」の装着も確認できない。また、銃本体のランヤードリングの有無も不明。
余談だが、鉄道公安ではコルトオフィシャルポリスの他にもけん銃が装備されたというが、詳細は全く不明。また鉄道公安官はけん銃は常時携行せず、現金輸送車「マニ車」の警備、皇族方の警衛警備などの際にけん銃を着装。警棒は制服の鉄道公安官でも木製ではなく、特殊警棒を携帯したという。
右上写真ではのほほんとした「駐在さん」然としたおまわりさんが構えるS&W M1917 5.5インチがたまらなく「仕事で持たされてる感」を醸し出してたまらない。
右下写真を確認しても、当時の新制服である「43年制服」に切り替えられた昭和31年12月制定の通称「32年制服」を着用している。主な識別点は胸ポケットフラップと、前合せのボタンの数。当時の写真を確認すると、昭和43年の「43年制服」へのモデルチェンジ後も32制服を着た警察官の写真が見つかり、被服の交換分を個人で破棄せずストックして「私物」としていたのか、「ゆるやかな交換」であったのか不明だが、平成6年制服導入時とは異なり、40年代当時は「完全な切替え」ではなかったようだ。
以前の記事の画像を再掲。こちらの放送は「総天然色」であったことから、S&W M1917の細部が確認でき、銃把は米国貸与時代からのオリジナル?の木製でチェッカリングのないスムースなものであることがわかる。徳島県警でいつの時代まで紺色負い紐が使用されたのか確認できないが、民主警察として日本警察が再興した当初から警視庁は白色つりひもを使用し、皇宮警察は臙脂色のつりひもを使い、43年制服導入を機に、全国的に「白色けん銃つりひも」が導入されてゆくが、福島県警、愛知県警などの一部県警は平成6年の服制改正まで頑なに「紺色つりひも」を使用し続けた。
――しかし、どれだけ探しても「なつかしの徳島」の動画が確認できず残念至極。
ノーカット完全版をぜひともDVD化して欲しい!と、徳島に向かって祈念する今日この頃だが、まず無理だろう。しかし、どんな放送だったのか、気になるところである。
「けん銃射撃競技会」だけで、2008/10/31と2007/8/30の二回放送されていることがわかり、「鉄道公安官の訓練」なる映像まで朝から流している。寝ぼけマナコでこんな映像を見せつけられたら、その日、一日、俄然気合いも入るというものだ。この企画のディレクター。ぜったい「好き者」である。
このうち「拳銃射撃競技会」では、それぞれ昭和43年10月31日、昭和42年8月30日の「徳島県警けん銃射撃競技会」の様子を映しているが、ちょうど昭和43年前後は当時の「新制服」への切り替え時期で、警察官の服制の変化も興味深い。
(余談だが日本のお役所では「拳銃」ではなく拳という字は常用漢字にないので正しくは「けん銃」であったが、近年常用漢字に「拳」が含まれたので、今後、表記は変わって行く?かも)
S&W military&police 5インチと思しき拳銃を構える警察官。気だるげな盛夏半袖シャツが昭和感度高め。角度により断定はできないが、「けん銃つりひも」は紺色の自動式用と思われる。けん銃には不鮮明だが、銃把(グリップ)中央のネジ穴付近にダイヤ状の彫刻があり、右下写真でもグリップにはめ込まれたメダリオンが見えないため、戦後、国内で製造されたニューナンブ用のものと同様のこげ茶色ベークライト様の樹脂製銃把と考えられる。また、グリップアダプターが取り付けられていたことがわかる。
「鉄道公安官の訓練」では、Colt Official Policeと思われるけん銃を構えるベテラン公安官の凄みある目つきがたまらなく昭和感度を高める。この画像で面白いのは、旧制服時代の警察官は盛夏服着用期間中、「帯革」の「負革」を取り外し、帯革のみをズボンのベルトに合わせて装着。「帯革留め」で帯革本体のみを着装していたが、鉄道公安官は盛夏服着用の場合も負革を着装していたことが伺え、興味深い。鉄道公安官のコルトオフィシャルポリスにもグリップアダプターが付いている写真を見たことがあるが、この写真からは判別できず、「けん銃つりひも」の装着も確認できない。また、銃本体のランヤードリングの有無も不明。
余談だが、鉄道公安ではコルトオフィシャルポリスの他にもけん銃が装備されたというが、詳細は全く不明。また鉄道公安官はけん銃は常時携行せず、現金輸送車「マニ車」の警備、皇族方の警衛警備などの際にけん銃を着装。警棒は制服の鉄道公安官でも木製ではなく、特殊警棒を携帯したという。
右上写真ではのほほんとした「駐在さん」然としたおまわりさんが構えるS&W M1917 5.5インチがたまらなく「仕事で持たされてる感」を醸し出してたまらない。
右下写真を確認しても、当時の新制服である「43年制服」に切り替えられた昭和31年12月制定の通称「32年制服」を着用している。主な識別点は胸ポケットフラップと、前合せのボタンの数。当時の写真を確認すると、昭和43年の「43年制服」へのモデルチェンジ後も32制服を着た警察官の写真が見つかり、被服の交換分を個人で破棄せずストックして「私物」としていたのか、「ゆるやかな交換」であったのか不明だが、平成6年制服導入時とは異なり、40年代当時は「完全な切替え」ではなかったようだ。
以前の記事の画像を再掲。こちらの放送は「総天然色」であったことから、S&W M1917の細部が確認でき、銃把は米国貸与時代からのオリジナル?の木製でチェッカリングのないスムースなものであることがわかる。徳島県警でいつの時代まで紺色負い紐が使用されたのか確認できないが、民主警察として日本警察が再興した当初から警視庁は白色つりひもを使用し、皇宮警察は臙脂色のつりひもを使い、43年制服導入を機に、全国的に「白色けん銃つりひも」が導入されてゆくが、福島県警、愛知県警などの一部県警は平成6年の服制改正まで頑なに「紺色つりひも」を使用し続けた。
――しかし、どれだけ探しても「なつかしの徳島」の動画が確認できず残念至極。
ノーカット完全版をぜひともDVD化して欲しい!と、徳島に向かって祈念する今日この頃だが、まず無理だろう。しかし、どんな放送だったのか、気になるところである。